2001-2002年の韓国ワーホリ体験記

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韓国ワーホリと聞いて、何を想像しますか?

K-POP、おしゃれなカフェ、美味しいグルメ。

韓国は今や人気の渡航先ですが、今から20年以上前の韓国は、日韓の交流も少なく今とは違う世界でした。

そんな20年以上前の2001年、私はワーキングホリデー制度を利用して韓国へ渡りました。

今でこそ韓国留学やワーホリは人気のある選択肢になりつつありますが、当時はまだ情報も少なく、スマホやネットで手軽に検索ともいかない時代です。

だからこそ、現地での体験はすべてが新鮮で、驚きと学びの連続でした。

今振り返ってみると、その体験は語学の習得だけでなく、人生観や働き方、文化理解に大きな影響を与えました。

この記事では、20年前のソウルでの暮らし、語学堂での学び、アルバイト体験、人との交流を現在の韓国と比較しながらまとめています。

この20年で本当に、当時からは想像できなかったほど、日本と韓国の関係は大きく変わりました。

これから韓国ワーホリや留学を検討している方はもちろん、当時の日韓文化に興味がある方もご参考ください。

目次

誰もいなかった韓国ワーホリの渡航準備

まだK-POPが、テレビや街中から聞こえてくるなんて、想像できなかった時代。

私の韓国への興味は、私の姉がカナダに語学留学していた時に知り合った韓国人が、わが家に遊びに来たことから始まります。

その韓国人が、何度かわが家に遊びに来ているうちに、自然と韓国という国に興味をもつようになりました。

そんな中、働きながら海外生活をすることができる「ワーキングホリデー」という制度を知り、韓国も1999年に始まったという情報を得ました。

現地で働いてお金も稼げるのならという軽い気持ちで、興味の芽生えていた韓国に行ってみようと決めました。

なによりも、現地に知り合いがいる、ということが心の余裕になっていました。

しかし、韓国にワーホリに行こうと決めたものの、渡航前の準備は想像以上に大変でした。

今のように韓国ワーホリの情報はほとんどなく、頼れるのは大使館や留学エージェントのみ。

韓国現地の情報は、親しくなっていた姉の友人を頼りにしましたが、それも国際電話を使っての通話。

今のように気軽に色々なことをネットで調べることができる時代ではなかったので、ビザの準備のために何度も領事館に足を運んで情報を得ていました。

韓国の公休日は領事館が閉まっていることも知らず、ただ家と領事館を往復しただけということもありました。

情報を得るために、留学エージェントの説明会に参加すると、集まった参加者の中で、韓国に行くのは私一人だけ。

スタッフにも他の参加者にも、「なぜ韓国?」という不思議そうな目で見られたのを覚えています。

結局、留学エージェントでは、韓国のワーホリは制度が始まったばかりなので、エージェントでできることは非常に限定的で、新しい情報も得ることはできませんでした。

私は、現地に知り合いがいたので、韓国での生活スタートを色々助けてもらえましたが、一人ですべてをこなそうとするとかなり大変です。

昔とは違い、今は多くのエージェントが韓国もサポートしています。

最初の生活スタートは不安や難しい手続きも多いので、留学やワーホリを考えている方はエージェントなどを利用するのは良い方法だと思います。

H-1ビザ取得準備

現在のH-1ビザの準備書類は以下になります。(駐日本国大韓民国大使館HP参照)

  • 査証発給申請書
  • 写真
    背景白・カラー3.5×4.5・6ヶ月以内
  • パスポート
    有効期限6ヶ月以上
  • パスポートのコピー
    人的事項面
    (パスポートの顔写真ページ)
  • 犯罪経歴証明書(アポスティーユ認証不要)
  • 健康診断書(指定病院及び検査項目の指定なし/レントゲン、血液検査など身体健康状態を確認できる診断書がおすすめ)
  • 保険証書(加入期間10ヶ月以上、保障額4,000万ウォン以上医療保険などに加入,
                          旅行保険以外の保険の場合海外で適用される内容が確認できる書類必要)
  • 在学証明書もしくは最終学歴証明書(専門学校を含む)
  • 居住予定証明書(ホテル予約証、賃貸契約書など)
  • 韓国語勉強サイト登録証明書(会員情報ページ、ログイン画面など)または語学堂入学許可証など
  • 観光就業活動計画書(1年間)

ワーホリビザ(H-1)取得のための準備書類は、今の方が少し必要書類が増えていると思います。

これは制度がしっかりと固まり、希望者も増えてきたからだと考えられます。

今もある必要書類の中に、「活動計画書」というものがあります。

私はこれが一番の悩みどころでした。

決まっていたのは、「とりあえず最初は語学学校に通って韓国語を学ぶ」、「住むところは知り合いのいるソウル」、この2点だけ。

活動計画書には書き方の形式の指定もなく、サンプルなどの情報もなかったので、私は1年間をざっくりと2,3か月毎に区切り、「語学学校」「アルバイト」「観光と旅行」「地域の引越」「アルバイト」「旅行」とだけ書いて提出しましたが、それで問題なくビザはおりました。

今思うと、そんな薄っぺらい計画書でよくビザがおりたなと思いますが、制度が始まったばかりで審査が緩かったのだと思います。

今は計画書のチェックも厳格になり、細かいスケジュールを書かないと通らないと聞きます。

これからワーホリを計画している人は、私のような薄っぺらいものではなく、しっかりとした計画書を作成することをおすすめします。

ソウルでの住居準備

海外で生活すると決めた時、一番の問題は住む場所です。

特に最初は、現地の土地勘も無い状態で決めなくてはいけないので、苦労することが多いです。

当時は、今のように事前に不動産サイトで調べておく、なんてこともできませんでした。

幸い私は、韓国ワーホリを決めるきっかけになった、知り合いの韓国人を頼りに準備を進めることができましたが、現地の語学堂に知り合った人に聞くと、最初に住む場所を探すのはやはり皆、苦労したと聞きます。

ろは

この点も、留学エージェントを通せば、家探しもサポートに含まれていることも多いので、労力と費用を比べてエージェントを利用するのも選択肢のひとつだと思います。

今は少なくなりましたが、当時の韓国の不動産はチョンセ(전세)と呼ばれる、月々の家賃を払う代わりに、入居時にまとまったお金(保証金)を大家に預けるスタイルが一般的でした。

その為、多くの留学生はハスク(하숙)と呼ばれる、下宿に滞在していました。

この「ハスク」は韓国人の学生も多く利用しており、自分の個室を割り当てられます。

リビングやトイレ、シャワーは共同使用、そして大家さんの家族と共同生活する事が一般的な形態です。

また、食事も提供されるのが学生には魅力的で、家賃もかなり低く設定されています。

現地の人と共同生活なので、留学生としては言葉を学ぶ環境としてもよく、何よりも家賃が一番魅力的でした。

家賃の問題だけでなく、昔の韓国人の学生は、一人暮らしは寂しいという概念があったようで、学生街では地方出身者はハスクで暮らすことが一般的でした。

その他には、コシウォン(고시원)と呼ばれる、今でいえばシェアハウスのようなものもあり、ハスクの共同生活はちょっと、という人が住んではいましたが、当時はまだそれほど一般的ではなく、施設も今のように綺麗ではありませんでした。

駐在員の人が、チョンセを支払ってワンルームという例はありましたが、今のように留学生がワンルームに月払いの家賃で一人暮らし、なんて考えられませんでした。

当時の住居をまとめると以下のような感じでした。

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住居タイプ特徴2001年当時現在(2025年)
ハスク(下宿)食事付き(朝・夕)+個室。家族経営が多い。留学生の定番。語学堂生の多くが利用。家賃は安めで食事付き。減少傾向。若者はワンルームやシェアハウスを好むため、以前より少ない。
ワンルーム(원룸)小さなスタジオタイプの部屋。1人暮らし向け。留学生が直接ワンルームに住む例は少なかった。社会人や駐在員向け。留学生・若者の人気No.1。ハスクの代わりに増加。ネットや不動産仲介で簡単に探せる。オフステルと呼ばれるタイプも。
コシウォン(고시원)個室+共同キッチン・シャワー。安い。一部あったが留学生利用は少なめ。主に試験勉強のための学生が利用。留学生にも人気。シェアハウス型に進化し、短期滞在者が気軽に住める環境あり。
語学堂寄宿舎学校運営で安心。食事付きのところもある。安いが人気がある為、競争率が高い。留学生に人気。相部屋が多かった。個室やユニット型が増え、快適さやプライバシーが向上。
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家賃形態特徴2001年当時現在(2025年)
チョンセ(전세)大きな保証金を預け、月家賃なし。退去時に返還。よく利用された。保証金は数千万ウォン程度。不動産価格上昇で保証金が数億ウォンに。リスク(詐欺・返還不能)も増え、縮小中。
ウォルセ( 월세)保証金少なめ+毎月の家賃。日本の賃貸と同じ当時はチョンセの方が主流で、ウォルセは少なめ。現在の主流。保証金+月家賃で、学生や社会人に広く利用される。

私は、上記のどれにも当てはまらず、姉の友人の韓国人の紹介で、韓国人のアパートに一緒に住むことになりました。

20代後半の姉弟の2人暮らしでしたが、姉が結婚するため家を出るので、空いた部屋に暮らしていいよという誘いがあったので、運よく韓国人の普通のアパートに暮らせる機会を得ました。

ソウルの語学学校選び

活動計画書にも書いたように、最初は語学学校に通うつもりでした。

しかし、やはり情報の少ない時代です。

そのころ私は、書店で見つけた、韓国学習の情報誌を隅から隅まで熟読していて、「カナタ韓国語学院(가나다 한국어 학원)」が有名であるということを見つけていました。

ところが、姉の友人と連絡をとっていると、「そんな学校は聞いたことがない」「外国人が韓国語を学ぶなら大学の語学堂に通うのが一般的だ」

との意見を聞き、彼女の勧めで新村にある、延世大学の延世語学堂に通うことに決めました。

当時は2つの違いがわからなかったのですが、「カナタ韓国語学院(가나다 한국어 학원)」は「学院( 학원)」という単語が表すように、運営母体が民間の語学学校です。

日本の街中にたくさんある、英会話学校をイメージすればわかりやすいと思います。

対して、「語学堂(어학탕)」は運営母体が大学で(それも有名大学がほとんど)大学のプログラム中に組み込まれており、交換留学生なども通ったりしていて、ビザの発給対象でもあります。

大学が運営していて留学生の受け入れもしているので、外国人が韓国語を学ぶ機関として、韓国人にも強く認識されていたのでしょう。

まとめると

・語学堂 → 大学の正規のプログラム。長期・体系的・アカデミック、留学ビザ(D-4)発給対象

・学院 → 民間スクール。短期・実践的・柔軟なプログラム・ビザ発給対象にはならない

といった具合です。

とはいっても、民間スクールだから劣っているということはありません。

特に「カナタ韓国語学院(가나다 한국어 학원)」は民間のスクールとしては歴史も長く、日本でもテキストが出版されていたりと、当時でも有名ではあり、今はでは短期語学留学などで利用する人も多いようです。

実際に、私が通っていた延世語学堂でも、会話力をもっとつけたいと、午前中の語学堂の授業が終わったあと、午後はカナタ韓国語学院に通っていたクラスメートがいたくらいなので、当時から有名な民間学校でした。

渡航:ソウルでの暮らし

私が韓国へワーホリのため渡航したのは、2001年9月でした。

2000年9月に、1年後に行くと決めていたので、チケットだけは早めにオープンチケットを確保していましたが、渡航の数日前に9.11の同時多発テロが勃発。

飛行機に乗ること自体に若干の戸惑いを覚えながら、私はソウル行きの飛行機に乗り込みました。

テロ直後であっても、当時の飛行機の荷物チェックは今ほど厳しくありませんでしたが、それでも私を含めた乗客は少し緊張気味だったのを覚えています。

生活インフラの整備

韓国の生活で最初に必要なことは、当時も今も

・銀行口座開設

・携帯電話開通

・交通カード取得

の3つだと思います。

私の場合は、姉の友人と同居人が助けてくれたので、不自由なく生活を始めることができました。

この3つの取得も当時と現在とはでは大きな違いがあります。

銀行口座の開設

当時はパスポートと外国人登録証さえあれば、今よりももっと簡単に口座が開けました。

私は姉の友人に付き添ってもらっていたので、言葉や文化的な問題をあまり感じることがなかったからかもしれませんが、語学堂で知り合った人達も、銀行口座の開設で苦労したという話はほとんどありませんでした。

一方で、2018年に韓国に再び住んでいた時に口座開設した時は、書類の量や確認事項が多かったりと少し複雑でした。

これは、日本も同じだと思いますが、詐欺などの増加やインターネットバンキングの発達などにより、手続きが昔に比べ複雑になっているようです。

なによりも現在の韓国ではインターネットバンキングが必須になっています。

その為、口座開設時には銀行アプリや、ワンタイムパスワードをの設定が必要になります。

現在の韓国生活は携帯番号がないと、できないことがたくさんあるのです。

また、韓国は口座開設と同時にチェックカードとよばれるいわゆるデビットカードを発行してもらえます。

キャッシュレスが進んでいる韓国では、現金取引をすることは2001年当時でも市場などを除けば、あまりありませんでしたので、チェックカードは必須でした。

携帯電話の開通

今なら日本で使っていたスマホをそのまま持って行って、現地の通信会社と契約や、プリペイドSIMなどが主流ですよね。

しかし当時は、まだスマホなんてなく、ガラケーの時代。

当時の主流は2つ。

1.中古の端末を購入して、通信会社と契約する。

2.プリペイド式の専用の中古端末を購入して、使う分だけチャージして使う。

当時は、携帯ですることといえば、通話とショートメール程度です。

私のまわりでは通話をそんなに必要としない人は、プリペイド式を利用することが多い傾向でした。

私も、のちにプリペイド式に移行しましたが、最初は同居人から使っていない端末を回線ごと借り受け、それを使用していました。

両方使ってみて思うのは、プリペイドは料金を抑えられますが、やはり通信会社と契約している方が便利です。

また、ショートメールは最初のうちは入力が難しいですが、単語の綴りを覚えるのに非常に役立ちました。

今はスマホのキーボードに韓国語を増やすだけで、日本にいながら簡単に韓国語の入力の練習ができるので、韓国語の練習の為だけでも、スマホのキーボードに韓国語を追加することはおすすめです。

また、当時はライン通話なんてものも無かったので、日本に連絡が必な時は、道端などの売店で国際電話カードを購入して、国と金額別にに決まっている時間だけ通話していました。

当時、語学堂の授業が終わるころになると、すごく安い国際電話カードを売りにくる、ちょっと怪しいおじさんがいて、各国の留学生たちが群がって飛ぶように売れて、いつも数分の滞在で帰っていっていたのをよく覚えています。

今思うと、ちょっとグレーなカードだっと思いますが、今のように手軽に海外通話ができなった時代のエピソードではないでしょうか。

話は少しずれますが、あなたが韓国や他の国へワーホリや留学に行くとしたら、今日本で使っている携帯電話の回線はどうしますか?

今の時代なら、解約や停止をするのではなく、最も安いプランや格安SIMに変えて、番号を維持して現地でも現在の番号を維持するようにすることをおすすめします。

現在は日本でも、銀行やカード会社などでは本人確認のためSMSで認証するケースが増えています。

日本の携帯番号がないと、書類の確認や取引ができないなんてことが発生してしまいます。

私は現在ニュージーランドに住んでいますが、日本の携帯番号がない為に苦労したことがあり、一時帰国の際に格安SIMを契約しました。

最低限の維持費はかかりますが、おかげで現在はニュージーランドにいても、日本の番号で本人認証ができるようになり、とても快適になりました。

長期の留学ならもちろん、ワーホリでもあっても、特に韓国は近いので一時帰国することはあると思います。

そんな一時帰国の時でも、その場ですぐ自分の携帯が使えるというのはとても便利です。

格安SIMには色々な選択肢があるので、とても安い金額で番号を維持できたり、一定の使用なら海外ローミングが無料であったりするプランもあります。

交通カード

2001年当時、韓国にきて最も便利だなと感じたものが、交通カード(교톻가드)です。

これは現在のT-moneyカードの前身のようなカードです。

当時の日本も、suicaの存在はありましたが、現在のような普及はまだしていなかったので、カード1枚で地下鉄とバスが利用できるはとても衝撃的でした。

駅の窓口で簡単につくれるこのカードは、韓国のキャッシュレス社会を実感できる便利アイテムでした。

現在は、銀行のチェックカードと紐づけされていて、チャージすることなく銀行のカードをそのまま利用できたり、クレジットカードと紐づけされていたりと、1枚のカードで完結できるようになっており、便利度はさらに進んでいます。

もちろん、紛失のリスクはありますが、日本のように場面に合わせて色々なカードがあるよりも、便利ではないかなと個人的には思います。

延世語学堂での学び

私が通った語学堂は、延世大学語学堂です。

初級の1級から高級の6級までレベル分けされており、そのレベル内でもさらにレベル分けされたクラスで編成されていました。

クラスの人数は10人程度で、授業はもちろん全て韓国語です。

本来は、レベルテストを受けなければならなかったのですが、私は韓国への到着が授業の始まるぎりぎりで、テストを受けることができなかったので、1級からの入学でした。

当時の私の韓国語レベルは、渡航前にNHKのラジオハングル講座を1学期(6か月)勉強した程度だったので、当然1級からと思っていたのでちょうどよかったです。

ただ授業当日教室に行くと、なぜか1級の中では一番上のクラスの所属になっていました。

とはいっても、初級の段階なのでクラスについていけないということもなく、むしろ下の方のクラスは、ハングルの書き取りの練習から始まっていたそうなので、それはそれでよかったかなと思っています。

私が通っていた頃の延世語学堂は、2級までは日本人用のテキストがあり、説明が日本語で書かれていました。

その為、2級まではほぼ日本人と韓国語が話せない日本で暮らす在日韓国人の編成になっていました。

日本語は文法的にも韓国語と似ているので、初級は他の国の生徒と一緒にすると授業が難しくなるという理由だったと記憶しています。

今はテキストも一新され、クラス編成も初級から国際色豊かになっているようです。

日本人ばかりが嫌で、自ら他のクラスに移動した人もいましたが、私はこれはこれでよい出会いと経験になりました。

なぜなら、日本人といっても歳は10代から50代と幅広く、こんな機会がなければ出会うこともなかったであろう人達と、クラスメートとして同じ目標を持って過ごすので、もし日本で出会っていたとしても同じ様にはできない、年齢を超えた付き合いができたからです。

よく、留学やワーホリにいったら日本人同士でつるむなといいますが、異国で出会う日本人とも適度な付き合いはあったほうが、より自分の人生を豊かにしてくれると私は思います。

延世語学堂の授業は、週5日の1日4時間で1学期200時間になります。

当時は午前コース(9:00~13:00)だけでしたが、現在は午後のコースもあるようです。

13:00には授業が終わるので、午後は自由に過ごすことができますが、宿題も多いので学校に残って勉強している人も沢山いまました。

また、語学堂所属ですが学生証もあり、図書館や食堂などの大学の施設を使うこともできます。

大学に通う韓国人と知り合って、活動を広げていくような活発なひともいました。

3級以降になると、とても多国籍になり、中国、アメリカ、イタリア、ロシア、モンゴルなど色々な国の人と知り合いになりました。

やはり年齢はとても幅広く、お互い上手でない韓国語で話すことなど、とても楽しかった記憶があります。

現在は、世界的に韓国のブームが広がっているので、もっと多国籍になっているのではないでしょうか。

ろは

私が現在住んでいるニュージーランドでも、韓国は人気があり、小学校では私の息子をはじめ韓国人の生徒は、Kpopガールズが吹き替えなしで理解できるのが羨ましいと言われているそうです。

私の通った延世語学堂の授業は、文法重視です。

私が通っていた当時は、西江大学の語学堂は会話重視といわれていて、初級の頃は西江にすればよかったかな、という声もちらほら聞こえました。

私も最初は文法ばかりより、もっと会話を教えてくれてた方がいいのにと思っていた時もありました。

しかし先生方がとても親切で、丁寧に教えてくれるなかで学び続けるにつれて、延世語学堂がとても好きになっていました。

今になって感じるのは、私は延世で学んだことで、文法の基礎をしっかりと学ぶことができたと思っています。

最初に話し言葉から学ぶのではなく、文法の基礎をしっかりと学んだことで、自然としっかりした言葉づかいを身につけることができたのです。

語学というのは、最初に学んだことがずっと後になっても残ってしまい、またそれが癖にもなってしまうものです。

私は韓国の人と話すと、とてもきれいな言葉づかいだねと言ってもらえることがよくあります。

これはきっと、最初に延世語学堂で文法をきっちりと学んだからだと今でも感謝しています。

ただ、先生がほとんど女性なので、言葉の抑揚なども少し女性よりになっているところもあります。

ろは

韓国人の妻と口喧嘩になると、「女みたいな話し方しないでくれる!気持ち悪い!」なんて言われることもありますが・・・・。

私は語学堂での学びが楽しくて、ワーホリなのに結局、1年間語学堂に通い4級まで修了しました。

私のように1年も通う必要はないかもしれませんが、ワーホリであっても、語学堂に通うことはとてもためになるので1学期や2学期だけでも通うことをおすすめします。

以下に有名な語学堂をいくつか紹介しておきます。

延世大学語学堂(연세대학교 한국어학당)
 特徴:歴史が長く外国人向け韓国語教育のパイオニア。

梨花女子大学語学堂(이화여자대학교 언어교육원)
 特徴:きめ細かな指導と授業サポートが充実。男性も入学可。

高麗大学語学堂(고려대학교 한국어센터)
 → アカデミックな雰囲気。大学進学を目指す学生が多い。

西江大学語学堂(서강대학교 한국어교육원)
 → 会話重視で人気。少人数制クラスが特徴。

慶熙大学語学堂(경희대학교 국제교육원)
 → 外国人同士の交流が盛ん。

日本文化の受け入れ

当時の韓国はまだ、日本の文化の受入れに制限がありました。

本屋には、日本の漫画の翻訳版はありましたが、CDの販売はまだ禁止されていました。

その為、道端には海賊版の日本のアーティストのCDが売られていたりしました。

そのようななかなので、反日感情も強いのかなと思っていたのですが、私が日本に興味のある人とよく会っていたからなのか、ほとんどそういったことを感じることはありませんでした。

ひとつ、印象深く覚えているエピソードを。

まだソウルの生活を始めたばかりの頃に市庁の近くで、人を待ち合わせをしていた時の話です。

待ち合わせ時間よりだいぶ前についた私は、ベンチに腰を掛けていました。

すると、年配の方が横に腰を掛けてきながら、「日本の方ですか?」と日本語で声を掛けてきました。

私がそうですと返答すると、その方は自分は日本語が話せるといい、私がワーホリで韓国に来ているとわかると、いろいろと優しく話をしてくれ、最後には韓国の生活がんばってくださいね、といって去って行きました。

私は、日本語が話せる年配の方ということで、なにか言われるのかもしれないと少し緊張していたのですが、とても日本に好意的なお話をしてくれたことに驚きました。

当時は、日本と韓国は「近くて遠い国」なんて言われていたこともあったのですが、「国と国」ではなく、「人と人」ではそんなことはないのかな、と思うきっかけになりました。

韓国ワーホリで体験した交流

2001年当時の韓国は、今とはまた違った活気のあふれる国でした。

南大門や東大門の市場を歩いていると日本語で「お兄さん、完璧な偽物あるよ」というかなりのパワーワードで話しかけられて、偽物ブランドを保管している場所を案内しようとしてきます。

興味半分で一度だけ、偽物が保管されている倉庫までついて行ったことがありますが、そこまでついて行って買わずに出てくるのは、少し緊張しました。

そんな活気あふれるソウルの街で、私は運よくすぐにアルバイトを見つけることができ、そこから色々な韓国人と出会うことで、韓国ワーホリがとても有意義なものにすることができました。

韓国でのアルバイト

働きながら海外生活ができる、という情報をもとに韓国ワーホリに行った私ですが、実際に韓国でアルバイトを見つけることは可能なのか?そしてどれくらい稼げるのか?ということを考えもしないで渡韓していました。

結果的には、私は運よく1年間で2箇所でアルバイトをすることができましたが、アルバイトで生活費を賄うというにはほど遠いものでした。

当時の韓国のアルバイトの時給は、私が見た新村のマクドナルドで時給2100ウォンでしたので、私が日本でアルバイトしていた時の時給が850円の四分の一しかありませんでした。

そのため、アルバイトのことはあまり深く考えないようにしようと思っていたところ、運よく語学堂のクラスメートに「アルバイト探してないですか?」と誘われ、最初のアルバイトを日本語カフェで始めることができました。

私が働くことになった日本語カフェとは、当時から日韓の交流の場として有名だった「かけはし」というお店をモチーフにしてイデに新しくオープンしたばかりのお店でした。

しかしカフェとはいってもそれは名ばかりで、インスタントコーヒーや、缶ジュースなどをそのまま出すようなお店です。

食事メニューは社長であるママさんがいる時は、しっかりとしたものを出してはいましたが、カフェというよりも、交流の場といった感じでした。

お客さんは基本的に、日本に興味がある韓国人で、日本語を勉強中や勉強したい人が集まっていましたが、なかには韓国語を勉強している日本人もいました。

また特定の曜日などは、ネットで募集して日本語の勉強会などを行っていました。

私の業務は、ドリンクの作成と配膳もありましたが、メインはお客さんと日本語でおはなしをすることです。

今のように韓国語を学ぶ日本人はほとんどいない時代だったので、旅行者でない日本人と話す機会なんて彼らにも貴重だったので、ただ話をしたいだけの人がよくきました。

日本語を勉強している人は、わからないところを質問として持ってくるので、それに答えてあげたりもしていました。

客層は若い学生が圧倒的に多かったですが、社会人の方もある程度はいました。

待遇としての給料はそんなによくはありませんでしたが、私も勉強の場と思って働くという感覚ではなく、放課後に遊びに行くところといった感じで通っていました。

お客さんのなかには、有名だった「かけはし」よりも、アットホームな感じのこっちの方が好きですと言ってくれる人もいましたが、場所もわかりずらい場所にあったり、アットホームすぎて商売としては儲けが少ない感じでした。

経営方法がそんな感じだったので、コンセプトとしてはとても面白いお店だったのですが、経営的には上手く軌道に乗せることができず、すぐに廃業してしまいました。

しかしそこで知り合った韓国人とは、その後のワーホリ期間もずっと仲良くすごした人もたくさんいました。

また、そのお客さんの中から、自分の務めている会社で日本語を教えてくれないか?という依頼があり、韓国の会社で韓国人に日本語を教えるというアルバイトを行いました。

大きな会社ではありませんでしたが、ここで日本語を教えた人が、のちに日本で就職したりと、関係は長くつづきました。

私は運よくアルバイトを見つけることができましたが、当時はアルバイトをしている留学生はほとんどいませんでした。

時給も安かったので、その時間があったら勉強していたのかなと思います。

私は、アルバイトで生活できるような稼ぎはえられませんでしたが、色々な人とのつながりを作ることができたので、それがワーホリと帰国後の人生に大きな影響を与えてくれました。

現在は、韓国の時給もずいぶんと上がって、最低時給が10030ウォン(2025年1月時点)になっており、「ソウルナビ」「コネスト」などのサイトでは求人情報もよく出ているので、私がワーホリをした2002年に比べればずっと稼げて、仕事も見つけやすいと思います。

ワーホリビザの場合は週に25時間まで就業可能なので、仕事が見つかれば生活費の足しには十分になると思います。

しかし、あくまでも生活費の足しになる程度と考えた方が無難です。

仕事が思うように見つからないこともあるし、何もよりも海外でぎりぎりの状態で生活するのは精神的にもよくないので、資金はゆとりをもって準備することをおすすめします。

文化交流

当時の韓国では「スタディ」と呼ばれる勉強会がありました。

私は、アルバイトをしていた日本語カフェのお客さんとして知り合った韓国人たちと、お店がなくなった後も、日本語の「スタディ」によく呼ばれて参加していました。

勉強会はメンバーが増えたり減ったりしながら、私が帰国するまで続き、その間には勉強だけでなく、一緒に運動をしたり、野球を観に行ったり、旅行に行ったりなど、様々な交流をもちました。

韓国人との文化交流で、一番印象深いのは、やはりお酒の席です。

今は少し変わってきていますが、韓国人はお酒の席が本当に好きで、お酒に強い人がとても多かった印象です。

私も若かったので、この1年が人生でもっともアルコール摂取した1年だったと思います。

もうひとつ、印象的だった文化として、インターネット文化があります。

当時は日本より韓国の方が、インターネット文化は進んでいて、街のいたるところに「PCバン」と呼ばれるインターネットカフェがありました。

若者は時間があれば、「PCバン」に集まり、オンラインゲームのはしりのようなゲームをしていました。

また、ネットで募集して勉強会の「スタディ」をおこなっていたように、ネットで知らない人とチャットをしたり、合ったりすることが当時からよく行なわれていました。

今はスマホのアプリで簡潔する様なことが、ネットの掲示板を通して行われていたことが、今思い出すと懐かしいです。

2002年日韓ワールドカップ

私がワーホリで過ごした1年間で、一番大きなイベントでした。

サッカーファンの間では、少し悪名の高い出来事もあったイベントですが、当時現場にいた印象としては、ただただ、国民が一つにまとまったことに圧倒されたイベントでした。

語学堂のサッカー好きのクラスメートとイタリア人留学生は、少し苦言を述べていましたが、学校の先生もその苦言をよく理解できていないほど、国がひとつにまとまったイベントだった印象です。

試合に勝ったあと、6車線の道路が人で埋め尽くされたこと、市庁前のパブリックビューイングに集まった人の数、そこにいた人たちのその熱気など、今でも鮮明に覚えています。

市庁前に大勢の人が集まった中では、日本が負けた時、盛り上がっている場面にも遭遇しましたが、それ以外の場所で観戦したときは、日本を応援してくれていたり、私が日本人とわかると、一緒に勝ち上がろうと声かけてくれたりすることばかりでした。

市庁前の場面に遭遇した時に、一緒にいた韓国人の友人はわたしにごめんねと言いながら、大勢の人がいると皆流されてしまうんですと何度も謝罪をしてくれました(君が謝罪なんてしないでといいましたが)。

今でも、ある程度の年齢の韓国人に2002年にワーホリで韓国にいたとうと、

「あの時いたんですか!?」と話が盛り上がるほど、ものすごい熱気のイベントでした。

帰国後の日韓関係の変化

2002年9月に私のワーホリは終わり友人に仁川空港まで送ってもらい、帰国しました。

帰国してみると、日本における韓国の位置がすこし変わっていました。

ワールドカップが共催だったこともあったため、韓国の情報が私が出発する前とは比較にならないほど増えていました。

また深夜帯ですが、韓国ドラマが放送されたり、書店には韓国語学習のテキストが並んでいたりと変化を感じました。

そして、その変化を決定的にしてのが2003年にNHK-BSで放送された「冬のソナタ」の大ヒットです。

韓流ブームの火付け役になった「冬のソナタ」は2004年に地上波のNHKでも放送され、主人公のペ・ヨンジュンが社会現象にもなりました。

これにより「第一次韓流ブーム」がおき、各民放や衛星放送、レンタルビデオ店でも次々に韓国ドラマが扱われるようになり、多くの韓国語教室などもできました。

2005年以降になると「チャングムの誓い」や「天国の階段」などが続き、韓国ドラマがメジャーなコンテンツとして定着していきました。

その後も下火になったりしながらも、何度もブームを繰り返し、現在では韓国文化は定着した地位を獲得している存在になっています。

本屋の語学の棚に行けば、韓国語の位置が、英語の次に大きく設けられていますし、テレビや街中からはK-POPが普通に聞こえてきたりと、私がワーホリに行く前から考えると、今の状況は考えられない程、日韓の関係は変わりました。

ワーホリ説明会で、韓国予定者がひとりだった当時の私に、20年後の状況を教えてあげたいです。

また、韓国カルチャーの世界進出もあり、私が現在住んでいるニュージーランドでも、韓国は人気があり、韓国系のスーパーでK-POPが流れていると、色々な国籍の若い子は、口ずさんだり少し踊ったりしながら買い物をしている風景をよく見かけます。

帰国後の私は、すぐにその経験を生かすことはできませんでしたが、韓国語の勉強は続けました。

韓流ブームの浮き沈みを横目で見ながら、韓国に友人を訪ねたり、検定試験を受けたりして、少しずつ上達もしていきました。

そしてコツコツと学習を続けた結果として、韓国人の妻と出会い、現在はニュージーランドの韓国の会社で多くの韓国人の同僚に囲まれながら働いています。

おわりに

20年の間に日本と韓国の関係は大きく変わりました。

遠くて近い国と呼ばれていた時代があったことが信じられないほど、近い国になりました。

今では旅行だけでなく、留学やワーホリで韓国を訪れる人も多くなり、若い人の交流も活発に行われています。

私は韓国ワーホリを経験した2001年に比べ、今は情報もたくさんあり、特にSNSなどで情報交換などもずっと便利になっているので、多くの準備や経験を積むことができると思います。

私は運よく、語学堂のクラスメートの紹介でアルバイトも見つけることができ、そこから多くの韓国人と出会い、友人もたくさんできました。

韓国ワーホリは私の人生の価値観を変える大きな経験でした。

もしこれから韓国ワーホリや語学留学を考えている方がいたら、ぜひ一歩を踏み出してほしいです。

机に向かった学習だけでは得られない学びや出会いが、必ず待っています。

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