ワークビザ保持のシェフが体験した、ニュージーランドのロックダウンと飲食業の現実

2020年、新型コロナウイルスの世界的流行は、私が暮らすニュージーランドにも遅れてやってきました
ニュージーランド政府は感染拡大の初期段階から厳格な対策を取り、世界的にも注目された「アラートレベルシステム」、2021年12月には「Traffic Light System(信号システム)」へ移行され国全体をコントロールしました

当時、私は飲食店で働くワークビザ保持者
英語も十分に話せず、先の見えない状況のなかで、多くの不安を抱えながら日々を過ごしていました

この記事では、飲食業界の視点、そしてビザで働く外国人の立場から、ニュージーランドのロックダウンを振り返ります
同じように海外で暮らしていた方、またこれから移住を検討している方に向けて、リアルな現場の記録としてお伝えします


目次

アラートレベルシステムとは?

ニュージーランドでは感染状況に応じて、アラートレベル1〜4の段階的な警戒レベルを設けました
2020年〜2022年にかけて複数回発動され、それぞれの期間で生活や仕事に大きな影響がありました

以下に、主なアラートレベル実施期間と生活必需品を扱う店舗(スーパーマーケット・薬局など)の営業形態を含めてまとめます

アラートレベル4:完全ロックダウン

期間①:2020年3月25日〜4月27日(全国)
期間②:2021年8月17日〜8月31日(全国)/オークランドでは同年9月21日まで継続

内容不要不急の外出は禁止され、全国的に厳しい移動制限が敷かれる

飲食店:すべて閉鎖。テイクアウトやデリバリーも禁止

教育機関すべて閉鎖。オンライン学習に移行

スーパーマーケット・薬局営業継続。入場人数制限、間隔を空けての整列、マスクの着用義務が徹底
営業時間の短縮や一部商品の購入制限も実施

その他:1日1回、近隣での運動や食料・薬の購入などに限り外出可。公共交通機関は大幅減便、マスク着用必須

アラートレベル3:制限付き活動再開

期間①:2020年4月28日〜5月13日(全国)
期間②:2020年8月12日〜8月30日(オークランド、オークランド以外はレベル2)、8月31日以降少し規制が緩和させたレベル2.5が新設されれ9月22日まで続く
期間③:2021年9月22日〜12月1日(オークランド、オークランド以外はレベル2)、12月2日よりTraffic Light System(信号システム)へ移行
短期:2021年前半に数日間や1週間程度の規制が何度かある

内容自宅滞在が基本だが、経済活動が部分的に再開

飲食店テイクアウト・デリバリーのみ可。客との接触を避ける工夫(非接触渡し、事前決済)を推奨

教育機関例外的に登校が認められるケースあり(エッセンシャルワーカーの子どもなど)

スーパーマーケット・薬局:営業継続。アプリによる入店記録、カートの消毒、人数制限が維持されました

アラートレベル2:ソーシャルディスタンスを保ちながら再開

期間①:2020年5月14日〜6月8日(全国)
期間②:2020年9月23日〜10月6日(オークランド、オークランド以外はレベル1)
期間③:2021年3月7日〜3月11日(オークランド、オークランド以外はレベル1)

内容大多数の活動が再開可能に。ただし感染防止策が徹底され、集会人数は制限(最大100人)

飲食店:営業再開。来店者の連絡先記録、テーブル間の距離確保が必須

教育機関:全面再開。ただし症状のある児童の登校制限、日々の体調確認が徹底

スーパーマーケット薬局:通常営業に近いが、距離確保・マスク着用・入り口での消毒は継続

アラートレベル1:ほぼ通常通り

期間①:2020年6月9日〜8月11日(全国)
期間②:2020年10月7日〜2021年2月13日(一時的に全国)

内容市中感染が確認されていない状態。日常生活はほぼ通常通り

飲食店:制限なしで営業可能

教育機関・企業:全て通常通り

スーパーマーケット薬局:通常営業。感染対策の一部は継続(消毒・マスク推奨など)


他の都市より厳しい処置のオークランド

私が住んでいるニュージーランド最大都市であるオークランドは、他の地域に比べて人口も圧倒的多い事もあり、感染者がでやすく他の地域より厳しい処置が長く続きました

特に2021年8月にデルタ株の感染者が確認されてからは、レベル4から始まり規制が非常に厳しいレベル3が解除されるまで(解除というより政府がルールを変えたが正しいですが)約5か月間というとても長い期間を非常に制限された生活を強いられました

しかし12月2日にTraffic Light System(信号システム)へ移行されると、飲食店の店内飲食が可能になり、色々な規制もかなり緩くなりました


最初の感染者確認から1か月後にロックダウンへ

ニュージーランドの新型コロナウイルスの流行は他の地域よりずっとおくれてやってきました
世界的に流行していても、どこかで他人事のような雰囲気だったのですが、最初の感染者の確認されるとロックダウンまではあっという間の出来事でした

最初の感染者確認と国境閉鎖

2月28日に最初の感染者が確認の発表は突然やってきました
感染者はイラン渡航歴ありで入国時点では隔離義務はなく国内初の陽性者となり、水際対策として3月14日には入国者に対して14日間の自己隔離が義務づけされました

この最初の感染者確認の発表を境に、それまで他人事のようだった雰囲気は一変しました
街を出歩く人は少なくなり、レストランの客数も激減しイベントなどの中止の発表が相次ぎました

この時期、私はオークランドCBDの日本食レストランに努めていましたが、険しい表情でスーツケースを引いて歩いている観光客や留学生と思われる人を窓の外によく見るようになりました
感染者数も少しずつ増えてきていたので、「帰国するような恰好の人が増えてきてるね」などと同僚と話していたのを覚えています

ろは

この時はまだ私たちには他人事のような感じでした


3月19日になると永住権、市民権者(いわゆるニュージーランド人の事です)以外の入国制限が発表され、さすがに私のまわりもざわつき始めましたが、まだ私たちの生活に大きな影響を与えることへと繋がっていくとは思っていませんでした

しかしそんな呑気な私たちの考えをよそに、3月21日にはアラートレベル制度の導入が発表され、即日レベル2に移行しさすがにこれはやばいかもと、色々な不安に襲われるようになりました
またこの時、初めてロックダウンというものを知り、それが施行されるかもしれないという事実を突きつけられ、かなりの戸惑いがありました

ろは

正直この頃はまだ、ロックダウンって何?という感じでした

いっきにロックダウンへ

そして、一度動き出した流れはもう止まる事はありませんでした
3月23日になると感染者が102人に達し、ついに政府は48時間の猶予を設けて最低4週間のレベル4、完全ロックダウンを実施することを発表します

この48時間は各会社や施設のロックダウンの為の準備期間として設けられた時間です
私の務めていたレストランもアルバイトをふくむ全てのスタッフを集め、今後のミーティングがありました

とはいっても、初めてのことなので会社も今後どうなっていくのかを知るすべもありません
ただ、2日後から最低でも4週間は営業することはできないという事実があるだけです

そして、コロナがどんな病気かもまだよく分かっていなかった時です
会社からは最低でも4週間は店が閉まるので、食材は破棄して使えるものもロックダウン中は店に来て管理することができないので、保管できるものは安全な場所に保管するよう指示があり、そして4週間のあいだ、皆さん無事でいてくださいとの通達でした

実は私は転職が決まっていて、このロックダウン発表の次の週で退職予定でした
まさか最後の仕事がロックダウンの準備になるとは思ってもいませんでした

また、この2日間はどこもかしこも大パニックでした

誰も経験のしたことのがないロックダウンが48時間後に始まります
スーパーは長蛇の列、家から出られなくなるのでテレビなど娯楽品を買い求める人など、あちこちで殺気だっていました
政府発表ではスーパーは営業可能となっていますが、大型スーパーのみだけで小規模スーパーは営業できない、など色々と情報が錯乱していました
韓国系のスーパーに問い合わせしてみましたが、自分達もまだ確認できていないので返答できないと電話の向こうで困ったような声だったのを覚えています
病院はどうすればいいのかなど、急な発表なうえに曖昧な部分も多くありました

そしてロックダウンが始まると、いつもはうるさい窓の外の街が明るい時間でも真夜中のような静けさでした
こうして2年以上つづく制限付きの暮らしが始まりました

従業員支援の柱

ロックダウン中はほとんどの業種は仕事ができません
ニュージーランドはほぼ時給制で働いているので、働く時間がゼロでは給与が発生しません

そこで政府が用意した主な制度は「Wage Subsidy(賃金補助金)」です

Wage Subsidy(賃金補助金)とは

対象となる企業は、売上が30%以上減少したことを証明できれば、従業員1人あたり週585.80ドル(フルタイム)を最大12週間分申請可能でした(後に延長プログラムもあり)

ロックダウンで営業できないので、売上減少は30%どころではないのでほぼ全ての会社が対象になります
またこれはレベル3に移行しても、条件は同じなので補助を受けることはできます

つまり、フルタイム従業員であればロックダウン中に自宅待機であっても週585.80ドルは会社を通して受け取ることができました(ここから税金が引かれますので手取りはもう少し少なくなります)
この補助はワークビザでも対象になっていたので、多くのワークビザ労働者の助けにはなりました

転職者の対象条件は不透明

この補助金の申請は雇用主が行うのが大前提です
また、あくまで会社が雇用を維持するための補助であり、個人を補助するものではありません

私は非常にタイミング悪く、このロックダウン前後に転職をしていました
転職といっても、ワークビザなので業種を変えることはできません
同じ業種(Chef) で同等もしくはそれ以上のコンディションで契約し雇用主が変わる転職です

ろは

つまり同じポジションにつける違うお店に移動することです



アラートレベル制度の導入が発表された3月21日が転職前の会社の最終出勤日で、翌週が契約終了日でしたが、25日からロックダウンが始まります

新しい職場は2月中旬に契約は完了していますが、出勤予定日は4月上旬でした

つまり、新しい会社とは契約はしているが、まだ1時間も働いたことがない状況でロックダウン突入してしまったのです
これは、私は補助の対象になるのかならないのか、非常に微妙なラインでした

結果としては、新しい会社が申請した補助が承認され、私も補助金を受け取ることができました。
しかし、やはり対象外だと途中でいわれたら返金しなくてはいけないという注意を受ました
最終的に返金を求められることはありませんでしたが、安心できない日々が長く続きました

ろは

この時は落ち着かない日々を過ごしながら、なんで転職なんてしたんだろうと何度も思いました


この補助のおかげで、最低限の生活は維持できましたが、店側の経営状況も厳しく、実際には希望通りのシフトに戻れる保証もありませんでした。

先が見えないのはオーナーである雇用主も雇われ側のスタッフも同じです。

テイクアウト営業のみで雇用と営業が成立するのか、この段階では誰も答えはわかりません。

補助金の対象になれましたが、不安の尽きない日々は続きました。


補助金だけでは厳しい生活

補助金がでたといっても、フルタイムで働いていた時に比べればまったくたりない金額です
家賃を払ったらほぼ残りません
補助金がもらえるかどうかの結果が出るまでも長かったので、家賃も払えるかどうかの瀬戸際でした

そこで不動産屋をとおして相談し2か月の間(ニュージーランドは週払い)、家賃を半額にしてもらいその後、通常家賃に100ドルプラスして返済していくという措置をとってもらいました

長く見れば支払う金額は同じなのですが、先が見えないロックダウンともらえる保証のない補助金を考えてると当時は非常に助かりました

永住権者以上だと、もらえるベネフィットの選択肢が増えるのですが、ワークビザで補助されのはWage Subsidyだけでしたので、この先が全くわからない最初のロックダウンはワークビザ保持者にはかなり大変でした

ろは

この時期をワークビザで乗り越えた人同士は強い絆のようながあります

飲食店の実情とスタッフの不安

私は転職がありましたが、レベル4直前までそしてその後規制が完全撤廃されるまでの間ずっと、フルタイムで日本食レストランに勤務していました

最初のロックダウン

前職の会社からは退職前に突然のミーティングで「明日から最低4週間閉店」といわれ、新しい会社からは「先の目処が何もたたないので、君の待遇は申し訳ないけど未定になる」といわれ、大きな不安を抱えたままでの自宅待機になりました

その為ロックダウンの発表を受けた直後は、色々な情報が錯乱する中で「自分のビザはどうなるのか?」「収入は本当にゼロになるのか?」と不安で眠れませんでした

私の場合は、出戻りの会社であり即戦力扱いでもあったので契約の白紙という最悪の事態にはなりませんでしたが、この最初のロックダウン後は様々な会社で契約の打ち切りが行われていたと聞きます

その後も長く続くコロナ渦で、飲食業界も大きなダメージを受け、人員カットが相次ぎました
私の知り合いにも大きな会社にもかかわらず職を失ったり、同僚が大量解雇されたという事例をいくつも聞きましたので私はまだ運がよかったほうでした

海外での雇用は、常に不確定な要素を含んでいます
たとえ正社員であっても、緊急事態のもとでは法的な保護が弱く、特に外国人労働者は「雇い止め」や「シフトゼロ」のリスクに直面しやすいのです

レベル3へ移行と営業再開へ

最初のレベル4は先行きが全く不明な状況で自宅待機の生活でした
しかし毎日の散歩などの外出は認められており、全く外出ができない訳ではなかったので段々とその生活にも慣れ、週に一度の政府の発表の時間はテレビの前で少し緊張する日々を過ごしていました

そんなロックダウンも1か月するとレベル3に移行することになりました
飲食店はテイクアウトのみの営業が許可されましたが、どのお店も手探り状態でした。

この頃私も、新しい会社から連絡がありテイクアウトのみの営業を始めるからということで、ようやく初出勤日が決まりました

いざ出勤してみると急なロックダウンで処理が間に合わなかった食材などのチェックと共に冷蔵庫や冷凍庫の掃除、またソース類や材料をゼロからの仕込みとやらなければならないことは山のようにあります
1か月以上閉まっていたので店の大掃除などもあり、準備だけでも大忙しでした

営業方法も初めてのことなので、このやり方で政府の指針にあっているのかという確認やスタッフ同士のすり合わせなども必要でした
またお客さんがどのくらい来てくれるのかもわからないので、必要な準備量などの見当もつかず、全てが手探りの中での営業再開でした

レベル3の時は、会社もあまりリスクをとりたくないので、政府の補助が出る分だけの労働時間数しかくれない会社が多くありました
労働者側からみると、働いても働いていなくても同じ額の給与になります
なんだか労働してるのが損をしているような気にもなりますが、会社が存続しなくては自分の職の保証もなくなってしまうし、何よりも契約を切られている人も多い中で雇用が続いていることをありがたく思っていました

そして、レベル3も長くなってくると、どの店もテイクアウトのみでも次第に忙しくなり契約通りの労働時間で働けるような環境になってきました
それでもテイクアウトのみでは売上はもちろん相当落ちているので、人員は大幅に削減の営業です

繰り返すロックダウンと長いテイクアウトのみ営業

2020年6月にはレベル1にまで落ち着きましたが、8月にはまたレベル3、そしてまたレベル緩和とを何度か繰り返していましたが、2021年8月にまたレベル4の完全ロックダウンになります

2度目のロックダウンの時は、ニュージーランドに住む人もみな慣れたような感じで、買いだめの列などありましたが、最初の時のような悲壮感やパニックはありませんでした

私の住むオークランドはこの後、再び1か月以上にに及ぶ完全ロックダウンと3か月以上のテイクアウト営業のみのレベル3ロックダウンが続きました
ここまで長くなると人は慣れてしまうもので、今振り返るとよくやったなと思いますが、当時は受け入れてそれなりに楽しくすごしていました

とはいっても、飲食業界ギリギリの状態で保っている会社も多く、また職を失う人も多くいたので私はまだ恵まれていた環境だったのかなと思います


ロックダウン中の生活と家族の時間

私たち家族は幼い子どもと3人暮らし
突然のロックダウンで、子どもは幼稚園が始まる年齢になっても通えず、夫婦ともに仕事ができない状態になりました
一方で生活の中心は家庭に移り、これまで仕事でなかなか時間を取れなかった私にとっては、子どもと向き合う貴重な時間となりました

毎日24時間が家族の時間

不要不急の外出は禁止、仕事も自宅待機、基本毎日が家にいる生活です
私以上に子どものほうが驚いていたかもしれません

この時間を今までできなかった子どもと向き合う時間にしようと思い、毎日絵本の読み聞かせをはじめることにしました
一日中一緒にすごすなかで、私は日本語で話しかけ、絵本を読み聞かせ、妻は普段通りそれを韓国語でと続けていくうちに、私たち家族の言葉のルールと息子の言語のスイッチの土台が形成されていきました

子どものことばの変化

毎日の食事を一緒にとり、日本語や韓国語の絵本を読み聞かせ、時には散歩をしながら言葉の練習もしました
ロックダウンという制約の中で、かえって言語育児への意識が高まり、父親としての役割を再確認する機会にもなりました

特に、毎日の絵本の読み聞かせは子どもの日本語が飛躍的に伸びるきっかけになりました
忙しくてなかなかできていなかった子どもとの日本語で触れ合う時間を、このロックダウンが私たちかぞくに与えてくれました

この時間がなければ、私は子どもの言語育児の意識が芽生えることもなかったかもしれないし、子どもが日本語に興味を持つことなかったかもしれません

楽ではないが楽しむことを心がける

食材の買い出しもスーパーに入れるのはバブルと呼ばれた、生活をともにする一つの集合体(つまり家族のことなのですが、ニュージーランドはフラットと呼ばれる同居人と暮らす人も多いのでそれらを一つにまとめた呼び方)のなかで一人だけ、それもスーパー事態に人数の入場制限があるので朝から長い行列を待ってようやく入店できる状況でした
ようやく入店しても品切れや購入制限などもよくありました

一方で外出に関しては、思っていた程ものすごい厳格なわけではなく、むしろ1日1度は運動の為に外に出ることが奨励されていました
もちろん、そこで他の人と接してはいけませんが、散歩をしたり、軽い運動をしたりとある程度の自由はありました

私たちが住んでいるオークランドは綺麗なビーチがたくさんあるので、近くの海で散歩や水遊びなどをして気分を発散させていました
ただでさえも自然が綺麗なニュージーランドですが、このロックダウンで海や空は普段よりももっと綺麗に輝いていました

収入やビザのことなど心配事は絶えませんでしたが、毎日24時間ずっと家族と過ごす時間はとても貴重なものになりました


情報アクセスの壁

アラートレベルの移行に伴い、教育機関も段階的に再開しましたが、詳細情報はもちろんすべて英語での発信です
難しい言い回しなどが多いので、つまりどうなるのかがよくわからないなんてこともよくありました

また、ワークビザ保持者の中には更新時期を迎えた人も多く、移民局の対応の遅れやルールの変更により、多くの人が混乱していました

ニュージーランドは韓国人のコミュニティーが日本人コミュニティーより大きいので、そちらかも情報を得たりと、英語で十分に得られなかった情報を韓国、日本のコミュニティーから補間することで、政府の発表だけよりももっと踏み込んだ内容や補助の情報などを得ることができました

ビザの情報など、生活に直結する問題などは情報源が大いに越したことはありません

ろは

この点では私たちはそれぞれの国の情報減も得られたことは色々な助けになりました


これから海外移住を考える人へ伝えたいこと

パンデミックのような予測不能な事態は、海外で生活する上で避けては通れません
特に、ビザや収入に直結するような状況下では、「自分だけは大丈夫」と思わず、最悪のケースも想定して備えることが必要です
英語圏に移住するなら英語ができることはもちろん大切ですが、完璧に使いこなせないから移住はできないということではありません

一番大切なのは「現地の制度やサポートを、自分で調べる力」です
英語に不安があっても、翻訳ツールや仲間を頼ってでも、自ら行動すること

行政は待っていても教えてくれません
動いた人から情報を得られ、生き延びられる——それが海外生活のリアルだと実感しました

さらに言えば、「言葉の壁」を越えて、自分の生活を守る知識と情報ネットワークを築くこと
それは日々の努力の積み重ねであり、緊急時にこそ本当の価値が問われます


おわりに

コロナ禍でのロックダウンは、精神的にも経済的にも大きな試練でした

しかし、その中で家族の絆を再確認し、自分の働き方や生き方を見つめ直す機会にもなりました
「働くこと」は生活の手段であると同時に、家族や社会とのつながりを持つ手段でもあるということです

色々な理由がありますが、ロックダウンを経て永住権を取得した後、私はそれまでの飲食業界からの転職をしました
理由の一つはあのロックダウンで家族と過ごす時間の大切さを知ることができた点があげられます
もちろんそれだけが理由ではありませんし、今後また飲食業界にも戻るかもしれませんが、今は以前よりも家族と過ごせる時間が多くとれる今の業種で満足しています

これから海外に出ようとしている方にとって、この記録が少しでも参考になれば幸いです。

多くの困難があっても、異国で暮らすことは人生を豊かにしてくれると信じています。

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