「母語って、どの言語のこと?」
多言語環境で子育てをしていると、ふとこんな疑問にぶつかることがあります。
日本で育った私たちにとっては、日本語が当たり前の“母語”かもしれません。
しかし、海外に暮らし、家庭の中に複数の言語が存在する子どもたちにとって、その「母語」とはどの言語を指すのでしょうか。
この記事では、「母語」「第一言語」「継承語」「優勢言語」という似て非なる4つの言葉の違いを整理しながら、わが家のトリリンガル育児の実例を交えて、「わが子にとっての母語は何か?」という問いにじっくりと向き合ってみたいと思います。
「母語」「第一言語」「継承語」「優勢言語」の違い
家庭では日本語と韓国語を話し、学校では英語。
隣の家の友だちとは英語で遊び、でも一番ラクに話せるのは韓国語。
これはわが家の息子の話す言葉の状況です。
こんなふうに複数の言語が日常にある家庭では、子どもが“どの言語で育っているのか”がひとことで説明しにくくなってきます。
母語とは?
母語とは、子どもが最初に自然に身につけ、思考や感情と深く結びついた言語のことを指します。
生まれたあと周囲の大人たちから浴びるように聞き、特別な教育を受けずに話せるようになる言語です。
たとえば、生まれたときから家庭で英語とスペイン語の両方を日常的に聞いて育った子どもは、「英語もスペイン語も母語」と言える場合があります。
ただし「母語」は心理的な要素とも深く関係しており、成長や移住によって、本人にとって“もっとも自分らしく感じる言語”が変わることもあります。
そのため、「生得的な母語」と「心理的な母語」が異なるケースもあります。
日本で生まれ育った私たち日本人は少しわかりずらいですが、多民族国家や、公用語が複数ある国、またわが家のように子どもが小さい時に移住をしていたり、両親の話す言語が異なっている環境で育つ子どもの場合、母語とは多面的な要素をもちます。
・生得的な母語とは
乳幼児期に自然に身につけた最初の言語のことを指します。
特別な教育を受ける前に、周囲の大人たちの話す言葉を無意識に聞き覚え、話せるようになった言語です。
この時期に習得した言語は、脳の発達において言語能力の土台となり、たとえ本人が記憶していなくても確かな習得歴が存在します。
・心理的な母語とは
本人がもっとも自分らしく感じ、感情を表現しやすく、安心感を持てる言語のことを指します。
この母語は成長や環境の変化に伴い変わることもあり、本人の自己認識や内面とのつながりによって決まります。
・両者が異なるケース
言語の発達順(生得的)と、感情的なよりどころ(心理的)が一致しないときに、
「母語が2つの意味で分かれる」ことが起こります。

母語という言葉が一つに定まらない背景や、多言語話者のアイデンティティに関わる問題をもつため、目的や文脈によって以下のように考えるとわかりやすいです
まとめると、
「母語」とは、
一般的には幼少期に自然に習得し、感情や思考の基盤となる言語を指します。
ただし、
成長や環境の変化により、本人にとって“母語のように感じられる言語”が変わることもあり、この場合は「心理的母語」として扱われます。
第一言語(L1)とは?
第一言語(First Language/L1)は、子どもが乳幼児期に最初に自然に習得した言語を指します。
この定義は習得の順番に基づいており、現在の流暢さや使用頻度には関係しません。
たとえその後あまり使わなくなっても、幼少期に自然に覚えた言語は「第一言語」として扱われます。
判断のポイントは「習得開始のタイミング」
・0〜3歳ごろにその言語を聞き、自然に話し始めたか?
・意識的な学習(勉強)ではなく、生活の中で習得が始まったか?
この2つを満たしている場合、たとえ流暢でなくても「第一言語」とみなすことができます。
わが家のような、日本語と韓国語を同時に聞いて育ったように複数の言語を同時期に習得した場合、その両方が第一言語とされることもあります。
しかし、その第一言語も優勢と非優勢にわかれることが多いと思います。
わが家の場合もどちら言語も同時期から触れていますが、本人が話しやすいのは韓国語であるという状態です。
この場合は、
日本語、韓国語ともに第一言語であるが、
日本語 → 非優勢第一言語
韓国語 → 優勢第一言語
というように分けることができます。



第一言語であっても放っておくと話せなくなってしまうので、日本語を維持していくには親の努力が必要です
第一言語は、社会的・文化的にその人の「母語」と重なることも多いのが特徴です。
また、わが家のように、日本語、韓国語を第一言語として習得後(習得中も含む)、英語を習得する場合は英語は第二言語となり、その後また言語が増えれば、第三言語・・・・となっていきます。
その時点で最も流暢に使える言語が”優勢言語”
成長の過程で「第二言語」や「第三言語」が、もっともよく使う言語になることはよくあります。
わが家のように、韓国生れで小さい時にニュージーランドに移住しているケースは、学校に通い始め、現地の友人が増えてきたり、現地での活動が活発になっていくと自然と普段使う言葉は英語が増えていくことが予想されます。
このように、その時点で最も流暢に使えて、もっとも頻繁に使っている言語のことを優勢言語といいます。
韓国語と日本語で育った息子が、英語の生活にどっぷり浸かることで、英語がもっとも得意になれば、英語がその子の「優勢言語」となります。
これはその時点の生活環境や教育、社会的背景によって再び変わっていくこともあります。
つまり、たとえ第一言語や母語が別にあったとしても、使う機会が減れば優勢言語の座を他の言語に譲ることがあるということです。



簡単に言えば今、一番話しやすい言葉ということですね。
継承語とは?
継承語とは、家庭内では話されているけれど、社会的には少数派の言語のことを指します。
多くの場合、親の母語や文化的ルーツとなる言語がこれにあたります。
ポイントは3つ
・家庭内で受け継がれた言語
・社会ではあまり使われないが、親や祖父母が使う「家族のことば」
・習得している場合も、していない場合もある(聞けばわかるなど)
また、「継承語」に当たる言語はその子にとって母語になることもあれば、ならないこともあります。
わが家の場合は、日本語と韓国語を「第一言語」とみなすことができますが、日本語は父親の私と家庭で話す時以外はほとんど使用していません。
この点から日本語は「第一言語」であり「継承語」でもあると考えることができます。



これは親である私が意識的に努力をしなければ、彼の中で日本語が消えてしまうということを意味するものと私は理解しています
まとめると継承語とは
・家庭など限られた環境で保持される言語
・社会で主流でなく、維持に努力が必要な言語
・第一言語と同一である場合も多い
となります。
「第一言語=継承語」になることはよくあるケースで、下記のように視点によって呼び方が変わるのがポイントです。
たとえば、海外在住のよくあるケースとして、家庭内で日本語を第一言語として育てたが、その後日本語を使う機会が減り、継承語的な立場になったというような場合は、「第一言語だったが、今は継承語として維持している」と言えます。
4つを区別して知る意味
4つの用語をわかりやすく図でまとめると以下のようになります。
用語 | 定義 | 変化する可能性 | 判定の基準 |
---|---|---|---|
母語 | 幼少期に自然に覚え、感情や思考と深く結びついた言語 | 心理的には変化し得る | 習得+感情+自己認識 |
第一言語 | 最初に自然に習得した言語(複数あることも) | 習得順は変わらない | 習得の順序 |
優勢言語 | 現在もっとも流暢で、頻繁に使っている言語 | 使用環境により変化 | 使用頻度・運用能力 |
継承語 | 家庭では使われるが、社会的には少数派の言語 | 維持の努力次第 | 社会的地位+家庭内使用+文化的つながり |
多言語で育つ子どもにとって、言語は単なる“ツール”ではなく、自分自身と世界をつなぐ「根っこ」のような存在です。
どの言語がどんな役割を果たしているのかを理解しておくことで、
・子どもの発達段階に合ったサポートができる
・継承語を無理なく育てられる
・子どもの言語的アイデンティティがぐらつかない
といった多くのメリットがあります。
トリリンガル環境で育つ子どもの「ことばの位置づけ」:わが家のケース
わが家の家族構成は以下の通りです。
- 父(私):日本人(韓国語もビジネスレベルで使用可能、英語は不得手)
- 母(妻):韓国人(日本語もビジネスレベルで使用可能、英語は不得手)
- 息子:韓国生れ、1歳の時ニュージーランドに移住
家庭内では日本語と韓国語、学校では英語が話されています。
子どもは韓国で生まれ、1歳でニュージーランドに移住しました。
2歳の時からのコロナによる長期ロックダウンの影響で、外出できない状況が長く、英語の環境に触れる時間は非常に限られていました。
現時点での言語使用比率と使用の状況を整理
現在7歳の息子が使っている言語のバランスは、次のようになっています:
・韓国語:50〜60%
母親との会話や韓国人の友人との交流、学校での同国籍の友人とのやりとりなどで使用頻度が高い。
・日本語:30〜40%
父親との会話を中心に使用。
家の中で父親とは一貫して日本語でやりとりしており、絵本の読み聞かせや遊びも日本語が中心。
・英語:10%以下
学校の授業や近所の英語話者の子どもとの遊びで使用。
ただし、理解も表現も他の言語と比べてまだ弱く、本人も「英語はむずかしい」と感じている。
このように、家庭内での使用言語の配分は自然と韓国語と日本語に偏り、英語は日常的な必要性から最低限使われている、という状況です。
では、ここまでの言語環境をもとに、わが家の子どもの言語状況を整理してみます。
用語 | 当てはまる言語 | 理由 |
---|---|---|
母語 | 韓国語 | 乳児期から家庭内で自然に接していた 自然にでる感情表現が最も多い |
(日本語) | 乳児期から家庭内で自然に接していた | |
第一言語 | 優勢 : 韓国語 | 乳児期から家庭内で自然と接していた 使用頻度がもっとも高い |
非優勢 : 日本語 | 乳児期から家庭内で自然と接していた 使用はほぼ家庭内に限定 | |
第二言語 | 英語 | 移住後から接する言語 家庭では使用しないが、社会生活で必要 |
継承語 | 日本語 | 使用が家庭内に限定 意識的な働きかけがないと使わなくなるおそれがある |
優勢言語 | 韓国語 | 韓国人の友人も多く、本人も「一番ラク」と感じている |
日本語も母語に分類できるかもしれませんが、感情の表現となると韓国語の方が自然にでてくるので、カッコ書きで分類しました。
このように、母語が2つ、第一言語が2つ、第二言語が1つ、継承語が1つ、優勢言語が1つという状況が、わが家のトリリンガル育児のリアルな実態です。



こうしてまとめてみると、確かに子どもの成長に伴って各ことばの位置づけは変化していくだろうな、という事が可視化されました
使う頻度だけで決まらない「言語の得意さ」
子どもの「得意な言語」と聞くと、つい“使っている時間が一番長い言語”というイメージを持ちがちですが、実際にはもっと複雑な要素が絡み合っています。
特に多言語環境で育つ子どもの場合、「理解」「表現」「思考のしやすさ」「感情の乗せやすさ」などが総合的に作用し、その子にとって“もっとも自然でラクに使える言語”が優勢言語となります。
わが家の息子は、ニュージーランドに住み始めてすでに6年が経過しています。
年齢的にも英語が自然に身についてきいてもおかしくないはずですが、ロックダウンなどの影響で外の環境に接する機会が少なかったこともあり、今でも「英語が一番難しい」と本人は感じています。
学校に通い始めてからは、英語を使用する時間が格段に増え、日本語は家庭内で私との会話以外はほぼ使用していないのに、まだ日本語>英語のようです。
また、一番ラクな言葉はどの言葉かと尋ねると、「韓国語が一番ラク」との返事がかえってきました。
これは、周囲に韓国語を使う友だちが多く、家庭でも母親を中心に韓国語での会話が多いこと、さらに生活の中で感情を伴うやりとりを韓国語で経験してきたことなどが影響していると思います。
つまり、「心の土台になっている言語」という視点で見ると、彼にとっての優勢言語は、日本語でも英語でもなく韓国語なのです。



そのため、やはり彼の母語は韓国語なのかなと思います
環境は常に変化する
もうひとつ重要なのは、言語の優位性は固定ではないという点です。
たとえば、学校でより英語の使用時間が増えたり、友人関係でも英語が中心になってくると、英語力が自然と伸びてきます。
子ども自身の言語的自信や、表現のしやすさが英語に移行することで、数年後には英語が優勢言語になる可能性が十分あります。
このように、言語は生きもののように成長し変化するものです。
「どの言語にも伸びしろがあり、状況によって入れ替わる可能性がある」という柔軟な姿勢が、多言語育児には必要です。
一方で、環境に任せすぎると、家庭内だけで話されている日本語のような“非優勢第一言語”が衰退するリスクもあります。
だからこそ、家庭内での言語サポートや、継承語としての日本語への意識的な取り組みが重要になってくるのです。
継承語は放っておくと消えていく?——家庭でできるサポート
継承語が消える理由
継承語は、日常生活の中で“自然に育つ”というよりは、意識して育てていく必要のある言語です。
その理由は明確です。
社会全体で使われていないため、接触の頻度が極端に少なく、成長のチャンスが乏しいからです。
継承語が失われていく主な要因には、以下のようなものがあります
- 使用頻度の低下
学校や友人関係、テレビやインターネットなどの情報源はほとんどが英語。
家庭内でしか使われない継承語は、自然と使用頻度が下がっていく。 - 心理的抵抗
成長とともに「友達と違う自分」に気づき、継承語を「恥ずかしい」「使いたくない」と感じるようになる。 - 親の一貫性の欠如
親が場面や相手によって使う言語をコロコロ変えてしまうと、子どもにとって継承語の位置づけが曖昧になり、定着しにくくなる。
このような理由から、放っておけば自然と失われていくのが継承語です。だからこそ、家庭での意識的な取り組みが必要不可欠です。
「日本語」を消さないためのわが家の取り組み
わが家では、父である私が日本人であるため、日本語は“父とのつながりの言葉”として位置づけられています。
息子と会話するときは基本的にすべて日本語。
意識して「一貫性」を守るようにしています。
また、以下のような日常の工夫を通して、無理なく、でも確実に日本語との接点を作っています。
- 毎晩の読み聞かせ:主に日本の昔話や絵本、児童書を選び、声に出して読む時間を確保。
- 日本語の歌や動画を活用:童謡やアニメの主題歌を一緒に歌ったり、NHK for Schoolなどの教育番組をみたりする。
- ひらがなやカタカナの遊び:アルファベットとの違いを楽しむように、文字遊びやお絵かきを通して自然に習得。
- 生活の中の日本語:料理、買い物、公園遊びなどの会話で意識的に多様な日本語表現を使い、「使える日本語」に結びつける。
- 机に向かう時間も設ける:漢字練習などは一緒に机に座って、練習する。
- 日本人の友人との時間をつくる:たくさんはいませんが、年齢の近い日本人の友人と遊ぶ機会をもうける。
- 日本の祖父母とLINE電話する:定期的に日本の祖父母と顔を見ながら話をすることで、日本語で話したい、伝えたいという気持ちを育てる。
ポイントは、「勉強」として押し付けるのではなく、楽しい時間や家族のつながりの中で日本語があること。
そうすることで、子どもの中で日本語が“意味ある言語”として息づいていくはずです。
どの言語も「育っている」——多言語育児の本質
3つの言語の“バランス”より、“意味”を考える
多言語育児をしていると、つい「どの言語を一番伸ばすか?」「英語力がもっと必要では?」と“バランス”に目が向きがちです。
しかし、私がこれまで息子の言語発達を見守ってきて感じるのは、それぞれの言語が子どもにとってどんな意味を持っているかがもっと大切だということです。
たとえば、わが子にとっての言語の位置づけは、こんなふうに感じられます。
- 韓国語:お母さんとのやりとり、韓国人の友だちとの遊び、安心できる日常の言語
- 日本語:お父さんとの心の会話、絵本や歌、おじいちゃん・おばあちゃんとの思い出の言葉
- 英語:学校、地域社会、近所の友だちとのコミュニケーションツール
このように、それぞれの言語が感情や人間関係と結びつきながら役
「どれが一番話せるか?」ではなく、「どの言葉が、誰との、どんな関係をつくっているか?」を見つめることで、子どもの言語的な世界はもっと立体的に見えてきます。
「感情の言語」を大切にしたい
「母語」という言葉には、“最初に覚えた言葉”というだけでなく、感情の根っこを支えている言語という意味があると私は思っています。
怒ったとき、泣きたいとき、嬉しいとき、思わず口から飛び出すのは何語でしょうか?
息子が「おとうさん、これ たのしいね」と言ってくれたとき、私は思いました。
「ああ、彼の中で日本語はちゃんと生きてる。」
どれだけ他の言語が上達しても、その子の感情や記憶と結びついている“ことば”は、心の深い部分でいつも息づいているのだと実感しています。
それがたとえ“話す頻度”としては少なくても、その子にとっての“根っこの言葉”であり続けるのです。
まとめ——母語も継承語も、“子ども自身の言葉”になるように
「母語って何?」「継承語ってどう守るの?」という問いは、ただ言葉を分類するためのものではありません。
それは、子どもがどんな言語で自分を表現し、他者とつながり、世界を理解していくのかという、本質的なテーマに直結しています。
言語はツールであり、感情の容れ物であり、そして子どもが育つ“環境”そのものです。
どの言語も大切です。
どの言語にも意味があります。
そのすべてが、子どもというひとりの人間の中で“同時に”育っているのです。
親ができることは、正しい発音や文法を教えることではなく、「この言葉を話してもいい」「間違えても大丈夫」と思える安心な場をつくること。
そして、子どもが言葉を通して、自分自身と世界をつなげていく姿を、あたたかく見守りながら、一緒に育っていくこと。
それが、多言語育児のいちばんの喜びなのではないでしょうか。
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