海外で子育てをしていると、
「この子にとって、どの言語が一番自然なんだろう」
と感じることはありませんか?
わが家では、日本語・韓国語・英語の3言語で子育てをしていますが、普段の会話では言葉が混ざることも多く、日本語だけで会話が成立する場面ばかりではなく、日本語がどれくらい身についているかわかりにくいと感じることもありました。
実際、当時の息子にとって最も自然な言語は韓国語で、日本語は主に私とのコミュニケーションで使う言語という位置づけでした。
この頃の息子の言語比率を数字で表すと体感としては、
・韓国語:約60%
・日本語:約20%
・英語:約20%
といったバランスです。
そんな中で、ある出来事をきっかけに、言語の見え方が大きく変わった瞬間がありました。
それが、息子が自転車で転んだときのことです。
この記事では、ニュージーランド在住の日韓家庭でトリリンガル育児を現在進行形でおこなっている筆者(父親)が、「子どもの言語は何で決まるのか」について感じたことをお伝えします。
子どもが助けを求める言語は「安心と結びついた言語」
多言語環境で育つ子どもには、よく次のような疑問が生まれます。
・第一言語はどれなのか
・母語はどれなのか
・一番強い言語はどれなのか
しかし、これらは必ずしも一致しません。
特に重要なのは、「感情と結びついている言語」です。
嬉しいとき、怖いとき、痛いとき。
そうした瞬間に出る言葉こそ、その子にとって最も自然な言語です。
そしてそれは、単なる語彙力や使用頻度ではなく、
「誰に向けて話すか」と強く結びついています。
*第一言語、母語については以下の記事に詳しくまとめています。

転んだとき、とっさに出た言葉
ある日、息子が自転車に乗っているときに転びました。
そのときは私と2人で過ごしており、息子が自転車に乗っているとき、私は少し離れた場所にいました。
そのため転ぶ瞬間は見ていなかったのですが、しばらくして遠くから息子の声が聞こえてきました。
息子くん「おとーさーん、いたいよー!」
「おとーさーん!」
「いたいー!」
何度も繰り返しながら、自転車を横に引いて、泣きながらこちらに向かって歩いてきました。
距離としてはそれほど離れていなかったはずですが、そのときはとても長く感じたのを覚えています。
私はすぐに駆け寄りましたが、顎と肘を少し切っていたものの、大きな怪我ではありませんでした。
ほっとしたのと同時に、息子の様子を見ながら、あることに気づきました。
そのときに感じたこと
当然、そのときはまず「大丈夫か」という気持ちが一番でした。
急いで近づいたところ、顎から血が出ているのを見て、心配でいっぱいになりました。
ただ、大きな怪我ではないとわかり少し安心すると、息子が叫んでいた言葉にふと意識が向きました。
強い痛みや不安の中で、とっさに出てきていた言葉が、すべて日本語だったからです。
これまでにも日本語で会話をすることはありましたが、普段は韓国語や英語が混ざることも多く、日本語だけで言葉が出てくる場面はそれほど多くはありませんでした。
それにもかかわらず、このときは迷いなく日本語で私を呼び、日本語で気持ちを伝えていました。
その瞬間、驚きと同時に、はっきりとした発見がありました。
そしてどこかで、「日本の子どもの自然な姿」を見たような感覚もありました。
少し不謹慎かもしれませんが、安心と同時に、嬉しさも感じたのを覚えています。
なぜ日本語だったのか
当時の息子にとって、最も自然に出てくる言語は韓国語でした。
それでもこのとき、痛みや不安の中で、私に向かって発した言葉はすべて日本語でした。
それは考えて選んだ言葉ではなく、とっさに出てきた言葉です。
このことから感じたのは、「どの言語を知っているか」ではなく、「どの言語がどんな場面で使われているか」が大きく影響しているということでした。
わが家では、父親である私は一貫して日本語で話しかけており、息子も私とのやり取りの中では日本語を使う場面が多くありました。
ただし、普段の会話の中では韓国語が混ざることも多く、日本語だけでやり取りが続く場面ばかりではありませんでした。
それでも今回のように、余裕のない状況でとっさに出てきた言葉が日本語だったということは、頭で考えて選んだ結果ではなく、「父親に伝える言葉=日本語」という感覚が、すでに自然に結びついていたのではないかと感じています。
また、今回の出来事を振り返ってみると、「誰に伝えるか」という意識は、子どもが思っている以上に強く結びついているのかもしれないと感じました。
普段の会話では言葉が混ざることがあっても、「相手が誰か」という前提があることで、無意識のうちに選ばれる言語が変わってくるのだと思います。
つまり、言語は単に使用頻度だけで決まるものではなく、「誰に対して使うか」「どんな場面で使ってきたか」によって、その役割が形づくられていくのだと実感しました。
また、言語の切り替えという点の似たような経験として、以前に息子が「耳の準備ができていない」発言した出来事を以下の記事にまとめています。


「言語スイッチ」を実感した瞬間
この出来事を通して強く感じたのは、
息子の中で、父親に対しては日本語で話すという言語スイッチが、すでに無意識レベルで確立されている
ということでした。
普段は言葉が混ざることも多く、本当に使い分けられているのか分かりにくい部分もあります。
実際、私との会話でも日本語で話そうとしながら、韓国語や英語が混ざることもありますし、日本語でどう言えばいいのか確認してくることもあります。
そのため、表面的には「日本語が安定している」とは言い切れない場面も少なくありません。
それでも今回のように、痛みや不安といった余裕のない状況の中で、私に向かって発した言葉がすべて日本語だったという事実は、それまでの見え方を大きく変えるものでした。
これは、その場で言語を選んだ結果ではなく、
「父親に何かを伝えるときは日本語」
という結びつきが、すでに息子の中で自然に出来上がっていることを示しているのだと感じています。
そしてこの結びつきは、特別なきっかけがあって突然生まれたものではなく、日々の積み重ねの中で少しずつ形づくられてきたものだと思います。
日本語で話しかけること、日本語でやり取りを重ねること、うまく言えないときに一緒に言葉を探すこと。
そうした日常の積み重ねが、「父親→日本語」という関係性を自然なものとして定着させていったのではないかと感じています。
言い換えれば、これまで積み重ねてきた関わりの中で、「父親→日本語」という言語スイッチが完全に形成された瞬間を、はっきりと実感した出来事でした。
このような言語の結びつきは、意識して教え込んだものというよりも、日々の関わりの中で自然と形づくられていくものなのだと感じています。
そのため、表面的な言葉の正確さだけで判断するのではなく、こうした“使われ方”にも目を向けることが大切なのかもしれません。
普段の会話の中では見えにくい部分ですが、こうしたとっさの場面にこそ、その子の中での言語の使い分けの“本質”が表れるのだと思います。
わが家の日々の積み重ねと試行錯誤についてはこちらの記事にまとめています。


とっさの一言に見える変化
その後を振り返ってみると、同じような場面は他にもありました。
例えば、
・叱ったときに「ごめんなさい」と日本語で言う。
(母親には韓国語で伝えており、相手によって自然に言語を使い分けている様子が見られます)
・何かを発見したとき「お父さん、見て!」と興奮気味に日本語で言う
・「びっくりした」「熱い」といった感情の言葉が日本語で出る
といったように、感情が動いたときに日本語が出る場面が少しずつ見られるようになりました。
こうした言葉は、ゆっくり考えて選ぶというよりも、その場で瞬間的に出てくるものです。
だからこそ、普段の会話以上に、その子にとって自然に結びついている言語が表れやすいのではないかと感じています。
実際、落ち着いているときの会話では韓国語や英語が混ざることもありますが、感情が動いた瞬間には、日本語だけで言葉が出てくる場面が印象的に残っています。
こうした積み重ねを見ていく中で、「父親→日本語」という結びつきが、少しずつではなく、すでにしっかりと定着しているのではないかと感じるようになりました。
こうして振り返ってみると、普段は気づきにくい小さな変化も、意識して見ていくことで少しずつ見えてくるものだと感じています。
言語は「割合」だけでは測れない
今回の出来事から感じたのは、
「言語は使用頻度だけでは測れない」
ということでした。
普段どれだけ使っているか以上に、
・誰と使っているか
・どんな場面で使っているか
によって、言語の役割は大きく変わるのだと感じました。
実際、当時の息子は韓国語を使う割合が最も高い状態でしたが、それでも今回のように、私に向かって発した言葉はすべて日本語でした。
このことから、単純な「使用量」だけではなく、「誰に対して使っているか」という関係性の積み重ねが、言語の選択に大きく影響しているのだと実感しました。
そして、いざというときに出てくる言葉には、その子にとっての本当の言語の位置づけが表れているのかもしれません。
普段の会話だけを見ていると分かりにくい部分もありますが、こうした瞬間にこそ、その子の中での言語の役割や優先順位がはっきりと見えてくるのだと感じています。
まとめ
今回の出来事を通して感じたのは、子どもの言語は単純な割合だけでは測れないということです。
当時の息子は韓国語を使う割合が最も高い状態でしたが、それでも痛みや不安の中で、私に向かって発した言葉はすべて日本語でした。
この経験から、言語は「どれだけ使っているか」だけでなく、
・誰に対して使っているか
・どんな場面で使ってきたか
といった日々の積み重ねによって、その子の中での役割が形づくられていくのだと実感しました。
そして今回、特に印象的だったのは、「父親に伝える言葉は日本語」という言語スイッチが、すでに無意識のレベルで機能していたという点です。
普段の会話では言葉が混ざることもあり、本当に身についているのか分かりにくい部分もありますが、こうしたとっさの場面にこそ、その子の中での言語の“本質”が表れるのだと感じました。
海外での子育てでは、「このままで大丈夫なのか」と不安になることも多いと思います。
しかし、目に見える言葉だけで判断するのではなく、こうした“とっさの一言”に目を向けてみると、子どもの成長や言語の定着の仕方が見えてくることもあります。
同じような環境で子育てをされている方にとって、ひとつの参考になれば幸いです。







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