海外で子どもを育てていると、
・最近、日本語が減ってきた気がする
・前は話していたのに、別の言語ばかり使う
・このまま日本語ができなくなるのでは?
と不安になることがあります。
わが家はニュージーランド在住の日韓家庭でですが、実際に日本語が弱くなりかけたと感じた時期がありました。
特に2歳直前には、日本語で話しかけても韓国語で返ってくることが増え、親として焦りを感じた時期があります。
しかし、その後の関わり方や環境の変化によって、日本語は再び伸びていきました。
この記事では、この記事では、ニュージーランド在住の日韓家庭でトリリンガル育児を現在進行形でおこなっている筆者(父親)が
・日本語が弱くなりかけた実際の時期
・そこから変わったきっかけ
・わが家で効果を感じたこと
・今不安な家庭に伝えたいこと
を、実体験ベースでお伝えします。
海外育児で日本語が弱く見える時期はなぜ起こるのか
海外育児では、子どもの日本語が一時的に弱く見える時期があります。
しかし、それは必ずしも日本語力そのものが下がったとは限りません。
多くの場合、
・家庭外で現地語を使う時間が増える
・もう一方の親の言語が生活の中心になる
・成長とともに使いやすい言語を選び始める
といった環境変化が影響しています。
つまり、
日本語がなくなったのではなく、他の言語が前に出てきただけ
というケースも少なくありません。
出やすい言語が変わることもある
親としては、
「日本語で返してくれない=日本語が弱くなった」
と感じやすいものです。
ただ実際には、
・理解はしている
・聞けば分かっている
・別言語の方が先に口から出る
という状態も多くあります。
これは能力低下というより、その時点で使う機会が多い言語が優勢になっている状態です。
わが家で2歳直前に起きた変化
わが家でも、一番大きく不安を感じたのは2歳直前でした。
私が日本語で話しかけても、返答は韓国語になることが増えていきました。
当時は、
・日本語で聞いても韓国語で返す
・韓国語の方が自然に出る
・日本語の存在感が薄く見える
そんな状態でした。
話す言語と理解する言語は別だった
ただ、今振り返ると、日本語そのものが消えていたわけではありませんでした。
実際には、
・読み聞かせにはしっかり反応する
・絵本の内容を覚えて暗唱する
・日本語理解は十分にある
状態でした。
つまり、
話す言語と、理解している言語は別で見る必要がある
ということです。
一時的な変化だけで判断しない
一時的に日本語が減ったように見えても、それだけで「もう遅い」と決める必要はありません。
子どもの言語は、環境と関わり方で変化します。
わが家もこのあと、少しずつ変わっていきました。
日本語を話さなくなったように見えた時期については、こちらでも詳しくまとめています。

わが家で実際に日本語が弱くなりかけた時期
わが家で、子どもの日本語が一番弱くなりかけたと感じたのは2歳直前でした。
今振り返っても、この時期が一番大きな転機だったと思います。
当時は、日本語で話しかけても韓国語で返ってくることがかなり増えていました。
以前からその傾向はありましたが、この頃には、
・日本語で聞いても韓国語で返す
・韓国語の方が自然に出てくる
・日本語で反応する場面が明らかに減っている
という状態になっていました。
親としては、
ろはこのまま日本語が弱くなるのでは
と強く感じた時期です。
焦りは大きかった
当時の焦りを10点満点で表すなら、8点くらいだったと思います。
ただ焦ってはいても、冷静さを失うほどではありませんでした。
今思えば、
・子どもの様子を見ながら考える余裕はあった
・何かしなければいけないとは感じていた
・焦って空回りする状態ではなかった
そんな感覚です。
結果的に、その冷静さがあったことで、目の前でできることに集中できたように思います。
できることに絞って続けた
その時期に、特別な教材を大量に買ったり、厳しい勉強を始めたりしたわけではありません。
わが家が意識したのは、
・絵本の読み聞かせ
・日本語の童謡や動画
・日本語で関わる時間を増やすこと
といった、日常の中でできることでした。
今思えば、焦りのまま色々なことに手を出すより、シンプルなことを継続できたことが大きかったと感じています。
読み聞かせについては、こちらの記事でも詳しくまとめています。


日本語の土台は残っていた
当時は「弱くなっている」と感じていましたが、後から振り返ると、日本語そのものがなくなっていたわけではありませんでした。
実際には、
・絵本の内容を覚えていた
・読み聞かせにしっかり反応していた
・日本語の理解は十分にあった
状態でした。
つまり、
話す言語としては弱く見えても、日本語の土台は残っていた
ということです。
弱かったのは環境だった
今振り返ると、問題は子どもの能力ではなく環境だったと思います。
当時のわが家は、
・家庭内で韓国語が強かった
・私自身が忙しく、日本語担当を徹底できていなかった
・日本語に触れる時間が足りなかった
という状態でした。
子どもは、与えられた環境の中で自然に強い言語を使います。
つまり、
日本語が弱かったのではなく、日本語環境が弱かった
ということです。
この経験が今につながった
当時は不安でしたが、この経験があったからこそ、
・親の関わり方の大切さ
・継続の大切さ
・言語は変化するということ
を学べました。
そして、このあと少しずつ日本語は変わっていきました。
「弱くなった時期があったから終わり」ではなく、
弱くなりかけた時期があったからこそ、向き合うきっかけになった
と今は感じています。
そこから日本語が伸びた最初のきっかけは絵本の読み聞かせだった
2歳直前、日本語が弱くなりかけた時期を振り返ると、そこから変わり始めた最初のきっかけは、間違いなく絵本の読み聞かせだったと思います。
私は日本語教育について、深い知識があったわけではありません。
ただ、



今できることをやろう
という気持ちで、絵本を読み続けていました。
結果として、この時間が日本語維持だけでなく、その後の学び全体につながる大きな土台になったと感じています。
日本語を大量に聞く時間になっていた
読み聞かせの一番大きな価値は、日本語を自然にたくさん聞けることだったと思います。
日常会話だけでは、どうしても使う言葉が限られます。
例えば、
・ご飯食べよう
・お風呂入ろう
・片付けて
・何してるの?
こうした生活語彙が中心になります。
もちろん大切な言葉ですが、それだけでは表現の幅は広がりにくいです。
一方、絵本には、
・驚き
・嬉しさ
・怒り
・冒険
・想像の世界
・リズムのある言葉
など、日常会話では出にくい豊かな日本語があります。
子どもにとっては勉強ではなく、楽しい物語として聞いているだけなのに、日本語の蓄積が起きていたのだと思います。
文字を見ることが当たり前になった
海外で育つ子どもにとって、日本語の文字を見る機会は多くありません。
外に出れば、
・英語の看板
・英語の本
・英語のテレビ
・英語の学校環境
が中心になります。
その中で、家庭で絵本を開く時間があることは大きかったと思います。
毎日のように日本語の文字を見ることで、
・ひらがな
・カタカナ
・漢字
に対する抵抗感がなくなっていきました。
「勉強として文字を覚える」のではなく、本の一部として自然に文字がそこにある
この感覚はとても大きいです。
後に音読へつながったのも、この土台があったからだと感じています。
好きな絵本が語彙と漢字につながった
当時、特によく読んでいたのが「バムとケロ」シリーズです。


私は題名だけでなく、作者名まで毎回読んでいました。
すると息子は、作者の島田ゆかさんの名前を覚え、「島田」という漢字を自然に認識するようになりました。
このお名前の「島田」が、息子が最初に覚えた漢字です。
そのため、5歳の時に日本へ行ったとき、「島田」という漢字が目に入ってくるとやたらと反応していたのを覚えています。
この出来事は親としては驚きました。
子どもは、「漢字を勉強しよう」と思って覚えるだけではなく、好きなもの・興味あるものから一気に吸収するのだと実感した出来事でした。
子どもに学ばせるというより、
興味を持てる環境を作ることの方が大切
なのかもしれません。
絵本好きが今の読書習慣につながった
あの頃の読み聞かせ習慣は、その場限りでは終わりませんでした。
8歳になった今、息子は
・日本語の本
・英語の本
・韓国語の本
も、自分から開いて読むようになっています。
もちろん、成長したことも大きいです。
ただ、本を開くこと自体に抵抗がないのは、幼い頃に
「本=楽しいもの」
と感じられた経験が大きいと思います。
もしあの時、本がただの勉強道具になっていたら、今の姿は違ったかもしれません。
読み聞かせは日本語維持だけでは終わらなかった
当時の私は、



日本語が弱くなってきた。何とかしたい
という思いで読み聞かせをしていました。
でも今振り返ると、得られたものは日本語だけではありませんでした。
・集中して聞く力
・親子で同じ時間を過ごす習慣
・言葉への興味
・本に親しむ姿勢
・学ぶことへの前向きさ
こうした土台も同時に育っていたように思います。
だからこそ、今になっても「あの時間は意味があった」と強く感じます。
もし1つだけ選ぶなら、今でも読み聞かせ
海外で日本語維持に悩んでいる家庭に、もし1つだけ何かやることを勧めるなら、私は今でも読み聞かせを挙げます。
すぐに話せるようになる魔法ではありません。
即効性も見えにくいです。
でも、
後から振り返った時に、一番大きな土台になっていた
そう感じる方法です。
今すぐ完璧にやる必要はありません。
1日5分でも、1冊でも、親子で楽しむ時間を積み重ねることが大きいと思います。
読み聞かせについては、こちらでも詳しく書いています。


今だから分かる、やって良かったこと
読み聞かせは、わが家にとって別格でした。
・日本語を聞くこと
・文字を見ること
・本に親しむこと
その土台を作ってくれたと感じています。
そのうえで、今振り返って「これは本当に効いた」と思うことが他にも3つあります。
どれも共通しているのは、
親子の会話とセットだったこと
です。
ただ与えるだけではなく、一緒に関わることが大きかったと感じています。
呼び方を「お父さん」に変えたこと
これは想像以上に大きな変化でした。
それまで息子は、韓国語で私を「아빠(アッパ)」と呼んでいました。
日本の家庭でも父親のことを「パパ」と呼ぶ家庭も多いので、悪いことではありません。
ただ、呼び方を日本語の「お父さん」に変えたことで、会話全体の流れも日本語に入りやすくなりました。
例えば、
・お父さん、これ見て
・お父さん、今日学校でね
・お父さん、これ何て言うの?
この最初の一言が日本語になるだけで、その後の会話も日本語で続きやすくなります。
言葉にはスイッチのような面があると感じました。
呼び方については、こちらの記事でも詳しく書いています。


言葉遊びは学びの入口になった
子どもは、「勉強しよう」と言われるより、遊びの中で覚える方が自然に吸収することが多くあります。
わが家でも、言葉遊びはかなり効果がありました。
例えば、
・しりとり
・なぞなぞ
・同じ音の言葉探し
・面白い言い換え遊び
こうした遊びの中で、知らない単語や表現に出会う機会が増えました。
さらに、自分で考える時間にもなります。
「次は何て言おう」
「この言葉でもいいのかな」
こうした思考が、日本語を使う力につながっていたように思います。
映像コンテンツは自然な表現の宝庫だった
映像コンテンツも大きかったです。
最初は童謡から始まりました。
歌いながら、体を動かしながら、日本語に触れる時間でした。
その後は、
・NHK for School
・ディズニー映画などの日本語吹き替え版
・日本語の子ども向け番組
なども取り入れてきました。
映像の良さは、
自然な会話表現が大量に入ってくること
です。
例えば、
・ちょっと待って
・それいいね
・なるほど
・どうしてそうなるの?
こうした表現は、教科書より映像の方が入りやすいと感じます。
またこれらは、その場で覚えるというより、聞いたことのある言葉として頭の中にストックされていく感覚です。
親が学ぶ姿勢を見せたことも意味があった
もう1つ、意外と大きかったことがあります
ニュージーランドに住んでいますが、私は英語が得意ではありません。
そのため、分からない単語や表現があると、息子の前でも普通に調べます。
時には韓国語も同じです。
そして、
・調べる
・声に出して復唱する
・何度も言って練習する
ということを、そのまま見せてきました。
そして、なぜそうするのかも説明しました。
日本語の絵本を読んでいる時も、言いにくい表現があった時は、読んでいる途中でも何度も練習することもありました。
すると息子もひとりで絵本を読んでいる時、日本語で知らない単語や表現があると、読んだあとに何度も口に出して練習するようになりました。
子どもは、言葉そのものだけでなく、
学び方そのものも見て学ぶ
のだと感じています。
結局、一番効いたのは親子の会話だった
ここまで色々書きましたが、呼び方も、言葉遊びも、映像コンテンツも、すべて親子の会話があってこそ生きたと思っています。
・映像を見て終わりではなく会話する
・新しい単語を一緒に使ってみる
・子どもの話を広げる
・間違いより伝えたい気持ちを受け止める
この積み重ねが、一番大きかったです。
結局、日本語は教材だけで伸びるものではなく、人とのやり取りの中で育つものだと感じています。
まとめ|遅いではなく、積み重ねで変わる
海外で子どもの日本語が弱くなってくると、
・もう遅いのではないか
・今さら始めても意味がないのでは
・このまま現地語だけになってしまうのでは
と不安になることがあります。
わが家でも、2歳直前に日本語が弱くなりかけた時期がありました。
日本語で話しかけても韓国語で返ってくることが増え、



このまま日本語が消えてしまうのでは
とかなり焦ったことを覚えています。
でも今振り返ると、あの時に必要だったのは、特別な才能でも、完璧な教育でも、高価な教材でもありませんでした。
必要だったのは、
子どもと日本語で向き合う時間を、少しずつ積み重ねること
でした。
過去より、今日の5分が未来を変える
「あの時もっとやっていれば」
そう思うことは、親なら誰でもあります。
私自身も、
・もっと早く日本語で話していれば
・もっと徹底していれば
と感じたこともあります。
でも、過去を悔やみ続けても状況は変わりません。
変えられるのは、今日からの関わり方です。
・寝る前に絵本を1冊読み聞かせる
・今日あったことを日本語で話す
・一緒に笑う
・子どもの話を最後まで聞く
そんな小さな5分でも、積み重なれば大きな差になります。
未来を変えるのは、過去への後悔ではなく、今日の5分だと思います。
父親の関わりは、思っている以上に大きい
今回の記事でも書いてきた通り、わが家では父親である私の関わり方が、日本語の流れに大きく影響していました。
・日本語で話すかどうか
・会話を広げるかどうか
・読み聞かせをするかどうか
・面倒でも続けるかどうか
その積み重ねは、子どもに確実に伝わります。
特に、母親が日本人ではない家庭では、父親の関わりが日本語環境そのものになります。
忙しくても、完璧でなくても大丈夫です。
父親が少し意識して関わるだけで、家庭の言語環境は変わります。
子どもは、見えないところで育っている
親はどうしても、
・今日は上手に話したか
・単語が増えたか
・前より上達したか
と、目に見える変化を求めがちです。
でも子どもの言語は、見えないところで育っていることが本当に多いです。
・聞いていないようで聞いている
・分かっていないようで理解している
・話さない時期でも、力をためている
わが家でも、後から急に伸びたように見える時期がありました。
しかし実際には、それまでの積み重ねが表に出てきただけだったのだと思います。
今すぐ結果が見えなくても、無駄とは限りません。
日本語力以上に、親子に残るものがある
日本語がどこまで伸びるか。
読み書きがどこまでできるか。
もちろん大切です。
でも、それ以上に価値があるものもあります。
・一緒に絵本を読んだ時間
・言葉遊びで笑った時間
・通じなくて一緒に考えた時間
・成長を感じて嬉しかった時間
そうした時間は、日本語力の数字では測れません。
けれど、親子の記憶には深く残ります。
日本語に向き合った時間そのものが、家族の財産になると私は思っています。
今日からできることを、ひとつだけでいい
完璧を目指さなくて大丈夫です。
毎日何時間も勉強させる必要もありません。
まずは今日
・日本語でひとつ多く会話する
・絵本を1冊だけ読む
・子どもの話をゆっくり聞く
・一緒に笑う
このどれか1つで十分です。
少しずつでも積み重ねれば、子どもは必ず応えてくれます。
そして子どもと日本語で向き合ったその時間は、きっと将来、
「やってよかった」
と思える時間になります。
完璧な家庭である必要はありません。
特別な教材がなくても大丈夫です。
今日、5分だけでも子どもと日本語で笑えたなら、それはもう確かな一歩です。
この記事が私と同じように、海外での子どもの日本語教育で悩んでいる方の参考になれば幸いです。










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